リアル人生100年を生きた婆ちゃんのはなし

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5月の最終日に祖母が亡くなり見送ってきました。

 

大正7年生まれの100歳と7ヵ月。

 

90代になるまで入院、点滴さえしたことないスーパー健康お婆ちゃんでしたが、肺炎で体調を崩して入院。

 

入院後も、姉や叔母とガールズトークをするくらい体調も回復してたようでしたので「婆ちゃんオリンピック見れるかもしれないなぁ」と呑気に構えていましたが、そのまま帰らぬ人となりました。苦しむことはなくまさに命が尽きたという感じだったようです。

 

5年間見守ってくれていた叔母には怒られるかもしれませんが、悲しいという感情はあまり沸きませんでした。寂しさはもちろんありますが「頑張ったね。お疲れ様」という感覚のが強いです。涙を流す親族はいなかったのでおそらくみんな同じ気持ちだったのかなと思います。後悔があるとしたら大好きな自宅の畳の上で逝かせてあげたかったかなというくらいです。

 

晩年の祖母は椅子に座って大相撲を見ながら、お茶をすすり、ご飯を食べて、よく眠るというシンプルな毎日を繰り返している印象しか残っていませんが、若い頃はちょっと違ったようです。

 

弟が祖母を「職業婦人」と言っていました。

 

職業婦人とは世界大戦後の産業構造変化で大衆中心社会になり女性も家業以外の外の世界で働くことが多くなった当時いち早く社会に飛び出した女性達、OLの先駆けの方々のことだそうです。

 

当時は食堂やレストランの給仕さんやデパートガールとかエレベーターガール、バスガイドなどがメイン(いまはガールとかって名前つけるだけで怒られるんですよね。職業名の歴史も結構おもしろいです)。

 

その中で祖母は証券会社の営業という骨太な仕事をしていたようです。昭和初期の証券会社の営業がどのようなものか知りませんがそれなりに活躍したのでしょう。その後は誘われて日本生命の営業に転職。出身の北海道から僕の生まれた長野に引っ越した時も支店を変えて活躍していたそうです。リテール営業が得意ということは人に気に入られたり、人の懐に踏み込むのが得意だったのでしょう。

 

子供の頃自宅の新聞が読売でも朝日でもなく、地元で購読率が高い信濃毎日新聞でもなく中日新聞だったりしたのは営業のためにお客様である新聞販売店から購読していたようです(この間はじめて知りました。わりと自腹切ってたんですね)。どちらにしても超ど田舎で商店くらいしかない地域で長らく営業担当として君臨してたんですから大したものです。

 

僕が生まれた年に実家が建ち、その前後で北海道から引っ越してきたはずですから当時55歳ということになります。定年が55から60歳に変わるとかそういう時期だったと思いますが、そんな時代に現役で確か65-67歳まで働いていたわけです(この辺は長生き過ぎてみんな記憶が曖昧)。

 

人生100年時代といま言われていますが、リアルに100年を生きた祖母を振り返ると色々見習うことが多いように思いました。

 

祖母の人生にとって仕事というものがどういう位置付けだったのか、どういうモチベーションでやっていたのかはもう聞けません。前に聞いた時は、適当にはぐらかされたような気がしますが、お菓子屋さんをクロージングした話を誇らしげに語っていたので純粋に営業が好きだったんでしょう。

 

おそらく健康寿命を長く働き続けるには

 

  • ノンストレス、強メンタル
  • 人を上手に頼る、頼れる環境が常にあること
  • よく食べてよく寝る

 

と言うことが大事なのかもしれません。

祖母は戦争も経験していますから僕らには想像できないくらいひどい環境や出来事を体感していたはずです。ですので滅多なことで驚かないし、生きるとか死ぬとかそういうことに対して達観していたのかもしれません。メンタルが強く、細かいことを気にしない性格だったと思います。なのであまり仕事でストレスを感じることはなかったでしょうし、会社が潰れたりとかそういうのもなったらなったでしゃーないよねくらいの感覚だったんだと思います。

 

また、祖母は僕の母に食事やら何やらは口出しせずに任せていたと思います。僕の父も母も亡くなり祖母が実家に一人になった時もあったのですが、その際もご近所さんが常に気にしてくれておかずなどちょくちょく届けてくれていました。その後、叔母が北海道から越してきてくれた際も叔母に頼りきりでした。本人は何もできないわけでなく、なんとなく周りの人たちが面倒見てくれて、かつその厚意を遠慮せず受けていたようです。聞くとその昔はお嬢様だったようですので人の施しに対して抵抗はなかったのかもしれません。

 

あと食欲が旺盛でした。とにかく食べる。最後は流石に介助が必要でしたが、それもここ2-3年だけではないでしょうか?ヤクルトを毎日1本飲み、食事も流動食ではなく普通のご飯を普通の女性並に食べていましたし、油物やお肉も好きでした。これ食べなと振舞われたコロッケや味噌汁が結構傷んでいて「婆ちゃんこれ臭うよ」と言ったら「あれ?そうかい?」とけろっとしていました。多分、本人は食べていたはずです。胃腸の強さと食欲というのはものすごい健康のバロメータなんだなと思います。あと酒もタバコもやらない人でしたが、ヘビースモーカーだった祖父の副流煙は吸い続けていたはずですので喫煙者に近かったかもしれません。

 

祖母自身は100年も生きるつもりなど無かったかもしれません。でも結果的に長寿を全うできたのは細かいことは気にせず、マイペースだったからかもしれません。

 

今の時代は人付き合いや経済状況、仕事、会社などなどいずれもどうなるかわかりませんし、ストレスや不安を抱えた方が多いと思います。

 

当然僕もそんな大勢の一人ですが、祖母を見ていると人生なんてどう生きても最後の幕引きは同じだし、細かいことなんて気にせずその場その場で頑張ればいいだけなんじゃないかなと思うのです。

 

婆ちゃんどうか安らかに。

 

 

カノープス株式会社 青山

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