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暑かった2005年の夏〜僕の転職のはなし(前編)〜

僕が人材業界に入ったのは2005年の春。この業界で10年が経過しました。入社したのは30歳を超えたところでした。

 

最近は30前後の方の相談も増えてきましたが、業界や仕事を丸ごと変えたいという方には結構厳しめのことを言ってしまいます。なぜなら僕もその頃、同じように業界も職種も丸ごと変えてキャリアチェンジをしたからです。はっきりいってめちゃくちゃキツかったです。

 

前の僕

僕は人材業界に入る前はデザイン会社で通販カタログを作っていました。一応ディレクターというありがたい職位をいただいていましたが、大好きな仕事でした。今でも「あのまま残っていたらどうなったのかな?」って思い返すこともあります。元々、モノ作ったり、絵を描いたり、Macの画面に1日向かっているのが好きで、人と話すのなんて超嫌いで、「できれば1日誰とも口を聞かずに過ごしたい」と、心の底から思っているような人間でした。顔色悪く、茶髪でヒゲを生やす時もあり、元K1ファイターの須藤元気氏が暴漢に刺された時期は、渋谷で2度職務質問を受けたことがありました。
※職務質問は最近も酔っ払って自転車乗っていたらされたので、醸し出す怪しさは変わっていないのかもしれません。ちゃんとした大人になりたいです。


なぜ、この業界に来たかというと、特に人材業に興味があったわけではありません。もっと言えば当時は全く興味がなかったです。

 

転職の理由はずばり「お金」でした。

 

いま僕が若者に伝えている内容からすると、夢も希望もない話しですが僕には重要でした。当時、僕の年収は確か380万-400万くらいだったように思いますが、子供も二人目ができて、すごく将来のことを考えるようになっていました。

 

自分が親にほどこしてもらったように自分の子に与えるには?

もっと稼げる力が欲しい。

 

という安直な意思決定をして、まずは他のデザイン会社を15社くらい受けました。片っ端です。今、ご相談者にアドバイスしている「やらないほうがいいこと」の一つの行動を当時やっていました。マジできつかった。何故かというと15社全部落ちたからです。今でこそポートフォリオがうんちゃらとか、書類の書き方など指導したり、面接のやり方など指導していますが、当時の自分を叱りたいくらいひどい活動だったと思います。

某印刷会社のデザイン部の面接を受けに行った時に「青山さんは営業やったほうがいいよ」と面接官の部長さんに言われたのが、営業を意識しだしたきっかけになりました。その部長さんは僕に適性があるという意味で言ったのではなく、「稼ぎたいなら営業くらいやれ」位のテンションで話されたんだと思います。たぶんそうだと思う。よく考えるとその場でお願いすればその会社の営業になれたのかもしれないですが、当時はお断りしてしまいました。

 

で、よくよく考え、疲れ、たどり着いたのが、求人メディア会社の求人広告でした。当時転職活動に疲弊しきって、地元で働きたいと地元の求人誌を見る癖がついていましたが、目に留まったのが、その発行元の会社でした。

 

・基本給は下がるけど、インセンティブってなんだ?
・年収例の400万てほんとにいけるのか?
・求人広告で営業が自分で作るのか。編集も校正も校閲もできるし役にたつかな?
国立市(当時募集していた近所の営業所)近いな。

 

というくらいの事を考えながら説明会に行きました。当時は紙メディアの営業説明会でしたが、5-6人参加されていて、皆さん年上だったのでびびった記憶があります。ただ、説明してくれた部長さんがとてもエネルギッシュで気さくで引き込まれたのは鮮明に覚えております。

 

「よくわからないけどすごい!できるかもしれない」

 

今から考えると、思う壺とは僕のことだったのかもしれませんが、本当に素晴らしい説明でした。なんやかんやで最終面接官もその部長さんで、「君の家族も含めて、うちが面倒みるよ」という浪花節に最後完全に叩きのめされて、同社に入社したのが2005年の4月でした。

 

その後、その部長さんは僕の上司になり、痺れるくらい僕を鍛えてくれたのですが、続きはまた。

 

真心のエージェント

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